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 橘の住むマンションは、やはりこの男らしく高級そうな造りだった。
扉の前まで来て、もう一度、わかってるな、と睨みを聞かせる橘を宥めつつ、チャイムを押させる。
そうして出てきた人物をみて───
「……………」
危うく表情を崩すところだった。が、かろうじて堪えた。
覚悟はできていたはずの奥村だったが、やはり予想外すぎて驚いてしまった。
(男に見える女……ではないよな)
どこをどうみても男だ。
しかも、眼が合っていきなり睨み付けられた。
(こ、怖ぇ……)
威圧感とは違う妙な迫力がある。
仕事柄様々な人間と会ってきた奥村だったが、今まで会ったどの種類の人間とも違うと思った。
何故か少し緊張している自分が変だと思った。
「高耶さん、高校からの付き合いの奥村です」
橘はまず、奥村を先に紹介した。
「奥村、こちら仰木高耶さんだ」
奥村がよろしく、と言う前に、高耶のほうが先に口を開いた。
「高校……?同級生ってことか」
「ええ。そうです」
それを聞いた高耶の表情が、若干変化したようにみえた。
気のせいか、威圧感らしきものが多少薄れたように思う。
そのお陰で、
「はじめまして」
改めて挨拶をした奥村は、そつなく笑顔まで浮かべることができた。
(褒めろよ、橘)
「……どうも」
高耶はそう無愛想に言って、大きくて印象的な眼をすっと逸らした。
なのに何故か嫌な印象は受けない。
ああ、人見知りをする子なんだな、と奥村は思った。
よくよくみればまだ二十歳そこそこじゃないか。少年と呼んでもよい顔立ちだ。
さっきは睨みつけられたと思ったけれど、ただ自分がそう感じただけで勘違いだったのかもしれない。
「飯、できてるけど」
「あなたはもう済ませたんですか?」
「ああ」
上着を脱ぎながら歩く橘に、高耶は実にそっけなく受け答えをする。
奥村もネクタイを緩めながら、そんなふたりの後についてダイニングへいくと、実にうまそうな食事がテーブルに並んでいた。
それをみて、初めて自分が空腹だと気付く。腹が鳴ってしまった。
高耶はといえば、何故か橘を睨みつけている。
「なに笑ってんだよ」
「いいえ。とても豪華ですね」
「つまみとか、いんだろーと思ったんだよ」
けれどこの料理は、明らかにつまみの域を超えているぞ、奥村は思った。
「ありがとうございます。気をつかわせてしまいましたね」
「……別に」
高耶はほとんど怒ったような表情でそう言う。
このあたたかな湯気のたつ食卓を、このあまりにも無愛想な少年が作ったとはとても信じられず、奥村は不思議な気持ちでその様子を眺めていた。


話をしてみると、ますます不思議な少年だった。
橘よりはどうみても年下なのに、まるで立場が上かのように振る舞い、橘もそれを許しているようだった。
ひどくぶっきらぼうで、だけど目を離したくなくなるような魅力があった。
食卓での会話では、達観した哲学者のようなことを口にもすれば、奥村が昔持っていた単車の話に子供のように目を輝かせて乗ってきたりもした。
実はまだ高校生なのだという。
橘の高校の頃の話をしてやったら、げらげらと笑ってくれた。
そんな高耶を追いかける橘の視線が、自分が今までに見たことのない種類のものだと気付いたのは、二杯目のビール缶を空にした奥村に、高耶がわざわざ燗酒を持って来てくれた時のことだった。
「高耶さん」
自分の分の猪口まで持ってきた高耶を、名前を呼んで諭す橘の表情が、見ているこっちが赤面するくらい甘いものだったのだ。
「いーだろ、たまには」
笑ってそれに応えた高耶は、自分の前に置いた猪口にほんの少しだけ酒を注いだ後で、
「あんたも遠慮すんなよ」
と、奥村の猪口をいっぱいにした。
友人の意外な一面をみた気恥ずかしさからなのか、高耶の酌が上手かったからなのかはわからない。
その後の奥村はいつものペースを保てずに、すっかり呑みすぎてしまった。
だから、まだ日付も変わらない内からすっかり酔っ払ってしまい、早々に床につくこととなった。
ソファで寝ると申し出た奥村だったが、ベッドのある客間に通されて、結局それに甘えることにした。
洗い立てのタオルケットの匂いを嗅ぎながら、奥村はうっつらと思う。
本当に楽しい夜になった。
想像していたような美女の晩酌はなかったが、酒も料理もほんとうにうまかったし、何より昔から良く知っているはずの男の見たことない表情がいくつもみられて、とにかく幸せそうで、心の底からうれしく思った。
ああ、本当によかった。
心残りがあるとすれば、ふたりの関係性を曖昧にしたまま問いただせなかったことだ。
まず恋人同士で間違いないとは思ってはいるが、どうなんだろう。
彼らは否定するかもしれない。
いずれ、また遊びに来よう。
そしたらその時はもっと突っ込んだ話を、例えば二人の馴れ初めなんかを聞いて、ふたりを照れさせてやろう。
奥村はそう考えて、瞼を閉じた。

前編 ≪≪
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 金曜の夜、久々の出張で上京した奥村は、そのまま週末まで付き合わせるつもりで、古くからの友人を呑みに誘った。
友人・橘義明は、兄の仕事の手伝いのために今は東京でひとり暮らしをしている。
彼の指定したバーで待っていると、じきに橘がやってきて、お互いの近況報告となった。
「じゃあ東京の方はお前が任されてるのか」
「全てではないがな」
「すごいな」
橘の兄の照弘は地元の宇都宮で不動産業を営んでいるのだが、本格的な東京進出を目指して都内に事務所を構えたのが数年前。橘は現在、その東京事務所を取り仕切っているという。
顔の広い照弘のお陰で事業は順調に進展し、今では企業相手の大きな案件もあると聞いた。
それを、いくら身内とはいえまだやっと30になろうかという橘に任せてしまうとは。
兄の潔さを褒めるべきか、その信頼に値した橘を称えるべきか。
「じゃあ忙しいんだな。遊ぶ暇もないんだろう」
「まあな」
静かにグラスを傾けている姿からは想像も出来ないが、この男が相当の遊び人であることを奥村はよく知っている。
「せっかく気ままな独身生活だっていうのになあ。勿体無い」
それを聞いて微笑った橘の表情に含みがあるような気がして問いただそうとしたのだが、橘の携帯電話の着信音に遮られてしまった。
「もしもし」
この場の雰囲気を壊さぬよう、いつもより低い声でひっそりと喋る橘だったが、隣にいれば聞くつもりがなくとも会話が耳に入ってしまう。
「……ええ、お疲れ様です……それが、今日はちょっと遅くなりそうなんです……そうですね、そうして下さい」
(???)
短い会話で電話を切った橘に、慌てて奥村は尋ねた。 
「遅くなるって、もしかして先約があったのか」
というか今の口ぶりからして相手は大事な相手のようだ。自分のために予定を棒に振ってくれたのだろうか。この男がそんな殊勝な人間だとは思えないが。
「先約というほどではないんだが……一応、日付が変わる前には家に居たいな」
左腕の時計を見ながら言う。
「まさか、家に女でも待たせてるのか」
「………野暮なことを訊くな」
否定しないところをみると真実らしい。奥村はすっかり驚いてしまった。
「女性を家に待たせておくなんて………初めて聞くぞ?」
この男は、女性関係に限ってはものすごくドライなはずだ。ひと時の快楽のために家に呼びつけることはあったとしても、基本的にはプライベートにはあまり深く関わらない。それなのに久しぶりに会った友人を早く帰してまで会いたい女性が、家で待っているだなんて。
「夕飯なんかも作らせて、一緒に食べたりするのか?あのお前が?」
「別に作らせてる訳じゃない。作ってくれるって言うからお願いしてるだけだ」
「………くそう、のろけやがって」
奥村はいじけつつ、それでも橘の相手の女性のことが気になってしょうがない。
「なあ、その人がずっと探してた人なのか」
そう尋ねると、橘はイエスともノーとも言わず、黙って眉を上げただけだった。
この男は、中々本音を言わない。
けれど過去に一度だけ、何かの拍子に漏らした事がある。
酔って饒舌になるタイプではない。たぶんまだ学生の頃だった。
いったい何のときだったか。
自分はずっとある人を探しているのだ、と橘は言った。
自分は、そのひとの為に存在しているのだ、と。
それはきっと、いわゆる運命の赤い糸で結ばれた相手ということだろうと奥村は解釈した。
そして、この男の全てを理解するのは不可能だな、と思ったものだ。
周囲の人間を異様なほど気遣う面もあれば、女性関係にはものすごくドライだったり。はたまた少女漫画の主人公レベルでロマンチストなことを言ってみたり。とてもついていけない。
あのときからずっと、探していたのだろうか。運命の相手を。
そして、やっと見つけたというのだろうか。
「どんな人だ」
「……………」
話してくれる気はないようだ。
まあいい、と奥村は引き下がった。
いずれ会える日が来るだろう。なんとなくそんな予感がした。
「しっかしまいったな。今日はお前のところに泊めて貰うつもりで、ホテルの予約なんか取ってこなかったんだ」
さすがにそれは橘も想定していなかったようだ。
驚いた顔で、週末だぞ、と言ってくる。
「そうだよな。早めに予約を取っておいたほうがいいな」
そう言って、奥村は携帯電話を取り出した。
ところが───……。
「え、おたくも満室ですか?」
何か大きなイベントが近くであるらしく、周辺のホテルは一流どころからビジネスホテルまでどこも満室だという。
電話帳を借りて片っ端からかけても駄目だった。
残る手段はラブホテル。
(それだけは絶対にいやだ……な……)
あそこほどひとりでいてみじめな場所はない。
「仕方ない。漫喫でも行くか……」
せっかくの東京だ。今から帰るという選択肢は有り得ない。
ベッドでの安眠をあきらめかけたその時、橘が言った。
「うちに来るか?」
「………え?」
瞬時に、橘の心を射止める程の美女に、晩酌をしてもらう絵が脳裏に浮かぶ。
「いや、悪いだろ」
そう言った顔もにやけてしまっていたかもしれない。
「仕方ないだろう」
橘の表情は明らかに乗り気ではなかったが、それでも携帯電話を取り出すとどこかへ電話をかけ行ってしまった。
やがて戻ってきて、
「行こう」
と奥村を促す。
「本当にいいのか」
「いい。ただし」
橘の顔が異様に真剣味を帯びている。
「会っても、驚いたりするなよ」
「………なんでだ。もしかして、俺も知ってる人か?」
奥村の知ってる限りの美女が、頭の中を駆け巡った。
「いや、そうではないんだが」
「なら、なんだよ」
「いいか。もし、変な態度をとったら……」
この男が真剣な表情になると、なんだか非常にこわい。まるで脅しだ。
「わかったわかった、心がけるよ」
これでも秘書歴は長い。
いったい何が待っているのかはわかないが、大抵の修羅場はポーカーフェイスで切り抜ける自信が、奥村にはあった。

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